ネパールでの活動が一周したはなし。

高校生のころ、JICA主催のキャンプへ参加したことがあって、それがわたしにとって国際協力だとか世界だとかに興味を持つ一番はじめのきっかけだった。

内容は、一泊二日で元青年海外協力隊の方や諸外国の方と、国際協力について考えよう!みたいなものだったと思う。

 

わたしは閉鎖的な田舎で生まれ育ったために、それまで外国や外国人というものに触れたことが少なく、肌の色も言葉も違う人たちが生きていて、目の前で自分とコミュニケーションを取っていること自体がもうめちゃくちゃ衝撃的だった。

そんな中、開放的でグローバル感たっぷりな元隊員の方々は、当時高三のやのあやにとってすぐに憧れの存在になった。

 

大学生になってネパールで活動を始めたのも、その人たちの姿を追っていたのかもしれない。

そんな背景もあって、国際協力は絶対に素晴らしいものなんだと信じていた。

 

 

だけど、実際にネパールでの活動を続けてきて、国際協力とか、支援とか、そういう言葉に違和感を抱えた。

なんか、「誰かのために」って胡散臭くない?とか。

 

「サンティー里親の会」を始めてから2年、「ために」という言い方がおこがましく感じて、支援としてお金を集めることが嫌になって、やめたいと思ったことがあった。

 

反対に、そう思えてしまうということは、それほど相手のニーズに寄り添った支援ができてないことができていないということだ、と落ち込むこともあり…

つまり、見事に挫折していた。

 

 

でもそんななか、

サンティーが家族や村のみんな、さらには初対面の人とも会話をできるようになったこと。

サンティーが自立へ一歩近づけたこと。

サンティーの親友が「サンティーと話せるようになってよかった」と涙ながらに言ったこと。

村のみんながサンティーのことを「かわいそうな子」という目で見ないようになったこと。

サンティーと村のみんなが、私をサンティーのディディ(お姉ちゃん)と呼んでくれたこと。

 

こういった目に見える成果は、里親の会の活動を肯定してくれた。

支援してよかったと、サンティーのためになれたんだと安心した。

 

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以上、わたしが支援活動にチェレンジして挫折、そして立ち直るまでの話です。

 

ただこのストーリーを書くだけならチラシの裏でやっておけよ、と自分でもおもいますが、どうしても記事にしたっかたのには理由があって。

それが一体なにかというと、

気づけばわたしのほうがサンティーからたくさん大切なものをもらっていたこと。

サンティーとわたしがこんな経験をできたのは、本当にたくさんの人のサポートがあったからこそ。

ということを忘れたくないから。

そして、いろんな人に知って欲しいから。

 

 

 

 

 

なんだか、何一つうまく伝えられた気がしないし、書き足りないこともあるけれど、この記事をのまとめを書くと、

 

●サンティーへたくさん力を貸してくれてありがとうございました!

 

●これからもネパールでの活動を続けていきます〜!

ただ、これからわたしが目指す支援は少し形を変えて、まだうまく言えないけど、誰かの「ために」ではなくて、もっと別な感覚。

たとえば、「誰かと」「一緒に頑張れそうなことをやってみる」とか、

「誰かと」を大切にした、依存を産まない支援。

そんなものを目指しています。

 

●最後に。大変な思いもするけど、間違いなくプラスの経験になるから、これを見ている人〜!とりあえず一回、一緒にネパールへ行ってみない?というお誘いです。

 

ということです。

 

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なんかもう際限なく書いてしまいそうなので、

写真と、ぜひたくさんの人にサンティーに会って欲しいな、という願望で〆ます。

 

おわり。